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コラム NHK大河ドラマ天地人 関ヶ原役と将星たちの興亡

 明治時代にドイツの有名な戦術家が旧日本陸軍の参謀たちと関ケ原周辺を散策した際に、
「どうして西軍は敗れたのだろう、布陣は完璧なはずなのだが。」と疑問に思ったところ、会戦半ばでの小早川秀秋の裏切りの説明を聞いて、
「そうであろう。そうだったに違いない。」と言って深く頷いて納得したという逸話がある。

確かに、石田三成率いる西軍は鶴翼の陣形を用いて東軍を完全に包囲し、その軍勢のほとんどが地勢上有利な山上に展開した十数万もの大軍だったのだから図面上の戦略は完璧なはずであった。
 一方の家康率いる東軍は八万前後の軍勢、しかも兵法にいう死地に突入するが如く進撃していたからこれは実に厳しい窮地での戦闘であったといってよい。
 
 したがって西軍の主力部隊であった小早川勢一万三千の東軍への寝返りが戦局を大逆転させる契機となったのは事実であると思うが、しかし原因はそれだけではない。

 西軍でまじめに戦ったのは元来の大名家では宇喜多秀家のみ、秀吉取り立ての大名は小西行長と大谷吉継だけだ。
毛利と長曾我部は戦況を静観しただけ、敗色が濃厚になるとサッサと逃げ出し、島津は相当以上に戦っているがこれは戦場から脱出する為に敵中突破する際に戦ったまでのことだ。島津はひたすら戦況を傍観し、万が一の戦線離脱の時の為に戦力を温存していたように思われる。長束正家や安国寺恵瓊などは銃声を一発も放たずして遁走し、脇坂安治は裏切っている。

 つまり小早川勢の裏切りがあろうがなかろうが、石田三成の西軍は寄せ集めの烏合の集団にすぎなかったのである。こんな軍勢ではどのような局面であろうとも絶対に勝つことができない。
主戦場となった関ヶ原での戦闘の様相もこれを如実に証明している。家康率いる東軍が一糸乱れず整斉と押し出しているのに対して西軍は各隊がバラバラになって戦っている。
日本史上最大の大会戦がわずかたったの一日でケリがついてしまったのも、西軍の総大将の毛利輝元がサッサと大阪城から退去したのもそのためだ。
 
 石田三成の褒美に釣られて付き従って集まっていただけの寄り合い所帯だったのである。
 
 関ヶ原での敗戦の後、九州柳川の暁将、朝鮮陣で勇名を轟かせた立花宗茂は毛利輝元や増田長盛に大坂城での籠城戦を説いたが黙殺を決め込まれるように無視されている。
「あのような者たちに語られて無駄骨を折ってしまったものだ。」と吐き棄てるように言ったという逸話があるが確かにその通りだ。
西軍の諸将が大阪城に籠城したら家康に勝ち目はなかったはずなのだ。
後年の大阪冬の陣では浪人ばかりの集団に籠城されただけで天下の軍勢をもってしても攻め落とすことができなかったのだ。この難攻不落の大坂城に籠城して長期戦に持ち込めば家康に味方する豊臣恩顧の諸大名だってどうなるか分からなかったはずである。城内には秀頼がいたのだからなおさらだ。
 
 毛利輝元は内密裏の家康の本領安堵状を信じて大阪城を退去しているが、その後にはまんまと騙されてその所領はあえなく没収、家康に内通して策動していた吉川広家がこれを聞いて大仰天し、家康に哀訴嘆願して広家に与えられるはずの防長二カ国を輝元が受け取って毛利家は辛うじて生き残ることができたのである。
 小早川隆景が生きていれば少しは補いもついたのであろうが、これも運命なのであろう。
 天が与えたチャンスを受け取らなければ逆に災厄を招くという教訓が史記の呉越興亡の章に記載されている。
 呉王夫差は仇敵の越を滅ぼす好機に恵まれながらもこれを許し、その結果、後年は越王句践によって逆に滅ぼされている。臥薪嘗胆という言葉の起源と云われる二人であるが、自信過剰でつっ走ってお先真暗というのは苦労の足りない優等生の小才子によくあることである。

 
 このような凡庸なおぼっちゃん育ちの輝元と実に対称的だったのが伊達政宗だ。

 政宗は西上に向かう家康から上杉家の押さえを頼まれていたのだが、家康の自重要請を無視してしきりに攻勢に出た。関ヶ原役の後も絶え間なく会津に侵攻するというしぶとさである。
 
 だが、上杉はさすがに強豪だ。上杉景勝・兼続の巧みな用兵によって伊達勢は難なく撃退されているが、しかし政宗は何度となく跳ね返されながらも、家康からの再三再四の自重要請があるにも関わらず執拗に攻撃を仕掛けては上杉勢に撃退されることを何度も繰り返している。
 
 これには理由がある。
 
 政宗は家康から奥州で百万石のお墨付きをもらっていたが、こんな約定は決まって空手形になることを政宗は知っていたのだ。
「よしよし、今のうちに合わせて百万石になる分だけ切り取っておけ。」と英邁な政宗ならば考えていたに違いないのである。

 必ず空手形には終わらせないという豪快な自信、家康に対する横着ぶり、伊達政宗は苦労人の実際家だったのである。
 
 
著者HP http://7daiyamonde.blog60.fc2.com/
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【2009/09/22 12:54】 | 未分類
コラム NHK大河ドラマ天地人 直江兼続の反駁状


 石田三成挙兵の急報に接した徳川家康は早急に小山の陣所を引き払い、諸将を率いて西上を開始するのであるが、関ケ原役に関する諸書によれば、この報告を聞いた西軍の将兵らは色を失って動揺したと各書とも一致して伝えている。
当時の徳川家の威勢、家康の武勇知略がいかに脅威であったかがよく分かる話しであるが、このような猛威をふるう家康に対して傲然と反駁状を叩きつけた人物がいたのだから恐れ入る。直江兼続は上杉謙信の骨法を見事に体現したといってよいであろう。
 
 兼続の反駁状が家康を激怒させたのかどうかは定かではないが、実に痛快な反駁状なので抜粋したものを意訳してこの場を借りて記しておきたい。

一 最近は色々と風評が乱れ飛んでおり、内府(家康)が上杉家に対して疑念を抱いているとのことだが、京と伏見の間でさえ風説が乱れ飛んでいるではないか。上杉はかなり離れた遠国にいるのだ、どのような風評があろうとも気にしないで頂きたい。
つまらない風説などに惑わされるようでは内府の量見も狭いというものだ。

二 早急に上洛せよとの趣旨であったが、国替えして間もなくすぐに上洛し、去年の九月に会津にもどったばかりだ。また再度の上洛などしては国の仕置きをする暇がないではないか。
そもそも当地は北国ゆえ十月から二月まで厳寒と雪で動きが取れないのだ。こんなことは内府でもご存知なはずであろう。

三 誓詞を出して事の次第を明らかにせよということだが、ここ数年来、誰それ(家康)によって数通の起請文(秀吉に差し出した誓詞)はことごとく無視されて反古になっているではないか。重ねての誓詞など必要なかろう。

四 上杉景勝の律儀は太閤殿下が認めていたことだ。逆心などあろうはずがない。いつのまにか変わってしまったのは世間一般や諸大名であって景勝ではない。

五 つまらない讒言に惑わされて逆心ありと信じておられるようだが、なんら糾明することもなく一方的に叛逆と決めつけるのはおかしいではないか。

六 前田利長が叛逆を疑われ、実母を人質に差し出して屈服したようであり、内府の最近の御威光も大したものだが、景勝も同じと思わないでいただきたい。

七 田舎武士が武具を集めるは当然のことだ。今焼き茶碗などを有り難がって収集している上方武士と同じことをしているだけである。
ましてや、上杉がいくら武具を集めても天下の大勢に影響などない、たかが知れているではないか。それをとやかく気にするようでは内府の料簡も狭いというものだ。

八 道路や橋を作っているのは往来の自由を便利にする為である。逆心などあるはずもない。越後の堀秀治がそれをいぶかしく思い、その挙句に驚き恐れてとやかく言っているそうだが、越後の堀ごときを踏み潰すのに道路や橋などの手間暇はいらぬ。
そもそも景勝に逆心があるならば、逆に道を塞いで防戦の準備を進め、早急に国境を固めているはずではないか。道路や橋などを整備したら逆に敵軍を防ぎようがない。ご不審に思われるならば、早急に使者を派遣し、いつでも十分に実地検分をなされるがよろしかろう。

九 来年か来々年には朝鮮を征伐しようと思う、その為の相談があるから上洛せよとのことだが、ばかばかしくて話しにならぬ。嘘にも加減のほどというものがあろう。

十 景勝に反逆の意志がなければ上洛せよとのことだが、これは乳飲み子あしらいと同じことだ。そのようなことよりも、なぜ流言飛語を飛ばす者と引き合わせて糾明せぬのか。
内府に逆心ありと疑われれば直ちに上洛する諸侯もいるのであろうが、景勝の発言が間違いか、内府の表裏に問題があるのか、天下の公論に委ねてみようではないか。

十一 景勝に逆心など微塵もない。したがってこちらから手出しする気はないが、内府が縷言飛語を信じ、軍勢を率いて下向するならば万事その時に決着をつけようではないか。


 
 まだあるが、兼続の言葉には信義心が感じられ、鋭い核心をついた正論でもあろう。
 
 政治とは古今東西、純情漢ではとても勤まらない。混濁を合わせ持つものであり、それが宿命でもあるので一概に家康を責めるつもりもないが、しかしあれだけの家康を相手にこのような反駁状を叩きつけたのだから実に豪快である。

 兼続の真骨頂ここにあり、といったところであろう。

 
著者HP http://7daiyamonde.blog60.fc2.com/
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【2009/09/19 16:28】 | 未分類
コラム NHK大河ドラマ天地人 越路の名物 直江兼続の真骨頂



 豊臣秀頼の後見役であった前田利家の病没の後、徳川家康の専横・増長・我がままぶりはさらに激しさを増し、ついに加賀の前田利長(利家の嫡男)は家康の脅迫的な威圧に驚き恐れ、徳川家に実母を人質に差し出して頭をたれて屈服した。

なんともまあ、一戦たりとも矛を交えずして屈従したわけだから利長の凡庸さには呆れるばかりだ。
あの世の利家がこのていたらくぶりを聞いたら必ずや激怒し、利長は蹴り殺されても仕方がないぐらいの不甲斐なさである。ひたすら御家の安泰だけを念願する無味乾燥のつまらない優等生だったのであろう。
「賢明な選択だった。」といえば確かにその通りなのかもしれないが、前田利家の遺志を知る者であれば慙愧の念に絶えないところだろう。


 それとは全くの正反対の態度を貫き通したのが、上杉景勝と越路の名物・直江兼続である。
 

 家康は上洛要請をあくまでも拒絶する上杉家に対して謀叛の嫌疑ありと一方的に決めつけ、諸大名をを率いて会津征伐に向かうのであるが、その以前に石田三成と直江兼続との間に密約があったのかどうかは諸説入り乱れて真偽のほどは分からない。

徳富蘇峰翁は近世日本国民史(関原役編)において、「ある程度の黙契が交わされたことは疑うべき余地はない。」といっているが、同感である。
上杉がいくら豪なりといえども天下の軍勢を一手に引き受けるには限界がある。秀吉の北条家征伐の例もあるのだ。
 兼続は抜群の才子であったから何らかの方策を練っていたはずで、石田三成とは使者などを通じて策動し、
「一方が旗を揚げれば他方も挙兵する。」といった暗黙の了解があったように思われる。

 諸書によれば、徳川家康は自身が関東に向かえば石田三成が必ずや挙兵するであろうことを事前に察知し、家康に随行して東下する黒田長政、福島正則、細川忠興などの武将らも石田三成の決起を予測していたようである。
 家康の脳裏には、この大波乱を乗り切って敵対勢力を掃討し、諸大名を心服させて天下の大実力者として認めさせるという狙いがあった。したがって上杉家に対する言いがかりの口実が幸を奏したともいえるし、厳しい局面ではあるが千載一遇の好機到来だったのである。

しかしここは正念場だ。家康と供に会津征伐の為に東下する豊臣恩顧の武将たちの動向は全くの未知数だったのだから、この時点での家康の胆力は実に恐るべきものがある。家康の度胸もだが、自信もあったのであろう。
 
 直江兼続の反駁状があろうがなかろうが上杉景勝が上洛を拒絶する以上、家康は決然と会津征伐を断行するつもりでいたに違いないが、この反駁状は信義・誠実の聖剣で家康の脳天を打ち砕くが如く強烈に衝撃力のある文面なので実に痛快だ。
上杉謙信の骨法を見事に体現したかのような信義心に満ちあふれた文章なので、この反駁状の意訳・転写が世代を通じて次々と氾濫し、いつのまにか真偽のほどが分からなくなってしまっているのも無理はないのである。
 
 筆者も実に心地よい爽快感を覚える文章であり、機会があれば何度となく読み返したいと思っている文面なので、次章では私も意訳・転写して書き記しておきたいと思う。


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【2009/09/15 10:15】 | 未分類
コラム NHK大河ドラマ天地人 徳川家康の野望

「天下は麻の如く乱れ、乱世の戦国武将であれば誰もが天下を狙っていた。」という台詞をテレビや小説などで相変わらず見聞きするが、これは当時の実態からほど遠い、観念的な幻想のような話しであるように思われる。
 戦国の群雄中、本気で天下取りを考えていた人物は織田信長ただ一人だけであったというのが私の持論なのであるが、しかしその信長にしても、それは尾張を統一してその後に美濃一国を略取した後からのことであったろう。
 当時の戦国大名の当主は在地豪族の連合体の旗頭的な存在であったから、その当主は家中を組織的に自由自在に操れるだけの力量と卓抜な統率力を要求されたのだ。
類い稀な実力のある当主でなければ、その領内はたちまち謀反や反乱が続出して家中は支離分裂し、とても天下を狙うどころではなかったはずなのである。
 
 以前に別の章で書いているので詳述しないが、織田信長は卓越なアイデア、奇抜な奇策、強靭な不屈の闘志で諸事難題を果敢に克服しつつ、天下統一の手法とでもいうべき設計図を少しずつ丹念に完成させていったのだ。
だから、信長の一番弟子といってよいくらいの秀吉があのように調子よく天下を統一することができたのである。
また、織田家の盟友であった徳川家康も信長の卓抜な手法に驚嘆しながらも感心したであろうし、天下は、「実力のある者の天下である」ことを如実に証明して見せた織田信長・羽柴秀吉に感化されたであろう。


 
 ところで、太閤秀吉の病没後、徳川家康の専横、実に目に余るほどの我がままぶりが始まった。
 
 秀吉の遺言とでもいうべき掟・約定をことごとく踏みにじり、諸大名と勝手に縁組を次々と結んで徳川家の威勢を増大させている。
また、大老職筆頭の権限を半ば専断し、諸侯の知行を半ば独断的に加増しているから、これは私恩を売るかのような策動ぶりなのだ。島津義久・義弘、細川忠興などは加増にあずかって大喜びしているし、小早川秀秋は筑前・筑後の領主に返り咲いている。中老職の堀尾吉晴などは栄転して越前に移封となっているが、これは加賀国の前田勢の中央への出口を塞ぐ役割を担わされていたことは明白なのである。

 家康の専横ぶりに大老の前田利家は激怒し、五奉行の石田三成らも憤激して家康に詰問の使者を走らせたりもするが、家康はノラリクラリと生返事をするぐらいで全然相手にしない。
「わしが謀叛しているとでも言いたげな口上だの。証拠を見せてもらいたいの。」というずうずうしさだ。それでもしつこく詰問状を叩きつけて厳しく追及すると家康はとうとう居直って、
「わしの大老職を剥ぐかのような言い草じゃが、それこそ太閤殿下の遺命に背くことになるのではないかの。」といった三百代言も言い出しそうな態度なのだ。
家康のこのような横着者ぶりは今回が初めてではないが、今や徳川家は実質的に三百万石近い超大名、しかも家康と親しい中小大名がゴロゴロいたから実力を背景にしてものを言っているわけだ。
 
 もはや家康の眼中には他の大老らは置き物も同然、五奉行なんぞはコッパ役人にすぎないのである。

 
 家康のこうした強引で信義に反するようなやり方には嫌悪感を覚えるところであるが、しかし秀吉も以前に同じようなことをしている。
織田信長の横死の後、織田家の当主は三法師(後年の織田秀信)と決まっていたにも関わらず、秀吉の雄大な謀略によって飾り雛同然にさせられて、いつの間にか忘れ去られているのだ。しかも織田家宿老筆頭の柴田勝家を滅ぼし、裏で糸を引いて信長の息子の織田信孝・織田信雄に醜い兄弟相克をさせ、次々に織田家の勢力をそぎ落として主家を簒奪しているのである。

 
 戦国時代の当時は、実力のある者の天下であった。

 五大老の筆頭、諸大名の中で抜きん出る超大名、諸将に神格視までされた武勇知略、七年にも及んだ外征の損失の皆無、外征反対の良識者としての信頼、豊臣家の武断派・文治派の調停者、これら全てをもってすれば、家康の天下になったことは自然なことであったようにも思えるのである。

 
 ドラマでは、家康打倒派の石田三成が直江兼続の進言に感じ入る場面が放映され、いよいよ関が原役へといった展開になりそうであり、次回の兼続の家康に対する反駁状が楽しみだが、江戸時代の御用学者らが石田三成のことを、
「才あって智なし。」と評しているが、これはあたっていると思う。
 私は三成の豊臣家に対する忠誠心を疑う者ではない。人間本来の心情として秀吉に対する恩を持っているべきであるし、三成の一途な正義感に同情もする。
しかし本当に豊臣家を思うのであれば、兼続・上杉家やその他の外様大名などを相手にするのではなく、武断派の者たちとの融和を図り、豊臣家恩顧の者たちに働きかけ、必要であれば膝を曲げて懇請・懇願すべきなのである。

 
 資質に得失あり。
全てを事務的にさばき切ろうとする官僚的な迷妄に固執してしまった三成の資質の限界であったろう。

著者HP http://7daiyamonde.blog60.fc2.com/
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【2009/09/10 11:19】 | 未分類
不如帰 ~戦国武将の幻影~


Ⅰ<覇王編>~逆賊 織田信長を討て!~  Ⅱ<争覇編>~織田家簒奪!秀吉の野望~

不如帰 戦国人物伝


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