スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【--/--/-- --:--】 | スポンサー広告
コラム NHK大河ドラマ天地人 天下の趨勢と将星たち


 慶長八年二月十二日、徳川家康は朝廷から征夷大将軍職を賜わり、名実ともに天下の主権者となった。武家の棟梁であり、もはや単なる豊臣家の大老職ではなく、家康は天下の覇者として日本国に君臨することになったのである。
 豊臣恩顧の諸大名である福島正則、加藤清正、浅野幸長らはこの事態に心平らかでなかったと伝承されており、ドラマでは福島正則が豊臣秀頼の御前で憤慨しながら憂慮する場面が放映されたが、しかし彼らは以前に秀吉の織田家の簒奪ぶりを十分すぎるほどに見てきているのだから全然予測できなかった出来事ではあるまい。
 信長が本能寺で横死した後、秀吉は織田家当主の三法師を飾り雛同然にして権勢を奪い取り、その後には成人した織田秀信を崇め奉るだけの置物のように扱っていたのである。
家康が秀頼に対して同じようなことをするであろうことは容易に推察のつくことであり、彼らの心情はかつての織田家の宿将であった丹羽長秀や池田恒興、森長可らが味わった胸中と同じようなものであったろう。
 その時代の趨勢とはいえ、その理不尽さが頭では分かっているのだが、我が「家」の存続と繁栄の為にどうにもならんのである。唯物と観念の狭間で煩悶して悩まされるのも道理といえる。
拝金主義が横行し、人間をまるで物のように扱う現代社会に生きる我々にも同じことがいえるかもしれない。

 時代の趨勢をいち早く読み取り、家康の覇権を予感した加賀国の前田利長は関ケ原役の以前に徳川家に屈服し、家康の恫喝に驚き恐れて実の母親を人質に差し出していたおかげで社稷をまっとうして加賀百二十万石を保ちえたのであるが、こんな逸話がある。
 「不敗の名将」で知られる立花宗茂は関ケ原の合戦に参加していないが、大坂城での徹底交戦を主張してやまなかった。
しかし毛利輝元や増田長盛は家康に対する弁解のことで頭がいっぱいの時だ、どのように言い訳をしたらよいのかでシドロモドロの真最中だったのだ。全然話しにならないのである。
 こうして、宗茂は失意のうちに九州柳川に帰り、その後は肥後の加藤清正の親身な忠告に従って城を明け渡したのであった。
その後、宗茂には数多の大名家から仕官の誘いがかかったのだが、加賀の前田利長からも十万石で召し抱えたいと使者を遣わしてきた。
 宗茂は退屈そうにその使者と対面し、その口上に全然興味を示さず、つぶやくように、
「憎いやつめ。腰抜けのぶんざいで、いろいろなことを言いよる。」といって立ち去ってしまったので、そこに居合わせた家臣たちが冷や汗をかいてその場をつくろうのに苦労したという。
 前田利長の徳川家への屈従の是非は人それぞれに意見の異なるところであろうが、温厚で寛大、人徳の声望があって驕ることなく、功があっても自慢せず、寛容で民に恩を施し、義をもって将士を励ましたといわれる立花宗茂ほどの人でも、利長は好感の持てる人物ではなかったのであろう。


 戦国の快男児で有名な前田慶次も諸大名からの仕官の誘いが多かった人であるが、関ヶ原役の後は、
「追従軽薄、さてさて男は一人もなし。」といって上杉景勝を主君と仰ぎ、米沢の郊外に住んで居候を決め込んだと云われる。上杉家を管掌する直江兼続もこの噂は知っていたであろうから、おそらくは苦笑いしながらも心の晴々とする思いであったろう。

 
 上杉領は三十万石であったが、兼続の卓抜な民政手腕によって五十万石前後になっている。
 
 後年、上杉領は荒地が多いということで幕府から十万石の軍役を免除されているから、実質的には六十万石前後の実収はあったかもしれない。
 

著者HP http://7daiyamonde.blog60.fc2.com/
メールアドレス hokenpuro@yahoo.co.jp 

 
スポンサーサイト

テーマ:歴史小説 - ジャンル:小説・文学

【2009/10/22 08:23】 | 未分類
コラム NHK大河ドラマ天地人 家康と兼続の質実


 有名な格言に、「人の一生は重き荷を負うて遠き道を行くが如し、いそぐべからず。」というのがある。徳川家康の言葉として伝えられているが、これは後世の人が創作したものであり、家康公の遺訓ではない。
日光東照宮付近ではこの格言を表装したおみやげ物の数々が売り出されていたが、しかし徳川家康の生涯とはまさに「忍従」の一生だったわけで、「忍耐」が家康公の精神的支柱であったことを象徴的に表現した言葉としては抜群である。
この格言が家康公の遺訓として根強く出まわってしまうのも仕方がないのかもしれない。

 家康は小牧・長久手の役の後、秀吉に十分に反抗できる戦力を保持しながらも天下への望みを断ち、辛抱強くも秀吉に臣従し、その後、秀吉から「つねに律儀な内府殿。」と言われるぐらいに深い信頼を得ていた。
詮ずるところ「律儀さ」と「忍耐力」は表裏一体なのである。この「強靭な耐性」は家康の嘱望を成就させるための重要な鍵の一つであったろう。

 
 さて、その徳川家康が関ヶ原合戦において西軍を一戦にして壊滅させ、その年の十月一日、西軍の首謀者として捕らえられた石田三成、小西行長、安国寺恵瓊らは首かせをはめられて大坂・京の街を散々に引き回され、六条河原で斬首の上、華やかな人々の往来する京の三条橋の際にその首をさらされた。

 石田三成・小西行長の伝記によれば、この二人は統制好みの質実な官僚肌だったようである。
 石田三成は生前、
「御公儀の金銀を無駄に費やすことは盗人も同然である。」と言い放ち、実際に関ヶ原での戦いの後に東軍が三成の居城である佐和山城を攻め落とした際に蓄財の形跡は全然見あたらなかったと云われる。
 小西行長も財産が全く残っていなかったので、これを伝え聞いた堺の町人たちが、
「二十四万石の領主でありながら金銀の蓄えが費えてしまうものか。さてさて武士とはつまらぬもの。」と言って笑ったという逸話がある。
 この世の富を享受して栄華を極めることを無上の喜びとする商人たちから見たらそうなのかもしれないが、しかし私は大名でありながらも質実で清廉な小西行長の魂を買わないわけにはいかない。
 古代中国の蜀漢の諸葛孔明は宰相の身でありながら残された財産といえば公務に必要なわずかな金銀と、その家族たちが暮らしていけるだけの痩せた桑畑のみであったという。
 現代の高級官僚たちは平気で税金を貪り荒らし、貪欲と思えるほどに蓄財に励む一方で汚職まみれという体たらくぶりであるが、石田三成・小西行長の爪の垢でも煎じて飲み、諸葛孔明の姿を後学の鏡とすべきであろう。汚吏・汚職の蔓延が亡国の兆しであることは歴史が如実に証明していることである。

 家康の質実も実に有名で数多くの逸話があるが、こちらは質素がかなりこうじすぎてケチな倹約家だったと批評する書物も多い。
しかし家康は十九歳前後の頃まで人質生活を送り、その後は織田信長の為に膨大な軍費を消耗させられたのだから家康ほど金銀の捻出に困らされた大名はなかったのである。
金銀のありがたみが骨髄に染み付いていたのであろうし、金銀の欠乏による恐怖心が精神的なトラウマの反動となって異常と思えるほどの倹約的な質実による莫大な蓄財を生み出したのであろう。
 家康は莫大な財産を残した人物であるが無駄な費えはいっさいしていないのである。

 直江兼続も実に質実な人物だったようである。
 
 会津の上杉家は関ヶ原役の後も最上家・伊達家との戦闘を依然として継続し、翌年の慶長六年の七月まで抗争に及んでいる。
 徳川家の重臣である本多正信が仲介役となって上杉景勝との和睦交渉が始まり、その年の七月二十四日には景勝・兼続は上洛して伏見に入っている。
 上杉家は三十万石に減封されて米沢に入ることになるが、景勝はその内の六万石を兼続に与えている。
 兼続は直江家の為に五千石だけ残し、五千石を部下たちに分け与え、残りの五万石は同僚や将士に分与したと云われる。清廉な政治家だったのである。

 当時の米沢の人口は六千前後、戸数は八百前後であったというから小さな城下町だったようだ。
 兼続はここで抜群の民政手腕を発揮して大なる功績を残す一方、農民には奢侈を徹底的に戒めている。兼続自身も驚くほどに簡素・倹約的な生活をしていたらしく、
「副食品などは一品で十分である。」といって食膳はつねに質素であったと云われる。



著者HP http://7daiyamonde.blog60.fc2.com/
メールアドレス hokenpuro@yahoo.co.jp 

テーマ:歴史小説 - ジャンル:小説・文学

【2009/10/07 14:29】 | 未分類
不如帰 ~戦国武将の幻影~


Ⅰ<覇王編>~逆賊 織田信長を討て!~  Ⅱ<争覇編>~織田家簒奪!秀吉の野望~

不如帰 戦国人物伝


美容室・ヘアサロン・ネイルサロン専門税理士

ランキングに参加しています。。。バナーをクリックして頂けると励みになります!

お気に入り

  • 紫電改を伝えたい!あいなんからの祈り
  • 日本百名城の旅
  • ひこばえ
  • ghost mail
  • 芸能エンタメ タレント最新ニュース&ランキング
  • 怖い話します
  • おんぞーし ノブ様
  • ☆オリジナルの高校数学の問題を掲載していきます☆
  • 嘘八百のこの世界
  • KEEP CALM AND WARBLE ON
  • 国時代を追いかけて日本の歴史つまみ食い紀行
  • 戦国&幕末 セレクト日本史
  • 心のうた|みよ@こたつむりが詠む詩集
  • 天満のイラスト日記!!
  • 施設内虐待(高齢者虐待)と戦う
  • にゃん吉倶楽部
  • 龍好き画伯の妻
  • 穴掘って吠えるでござる
  • えくぼママの喜怒哀楽三昧♪
  • 愛犬ジュジュのときどき後ろ前!?
  • 道東からのフォト
  • 花の店みちくさ
  • すずめ四季
  • 猫ろころころ
  • 極小ヨーキーの子犬がやってきた!
  • 木工と個別課題の部屋
  • 残された石垣を見つけたい
  • のんびり ゆったり 自遊気儘
  • 鼻毛虎日記
  • 別府葉子公式ブログ ~葉子通信
  • ノーベル賞候補犬 サンちゃん
  • 下町ESPRIT
  • 戦闘SLGプレイ日記
  • 東京ぶらぶらり
  • 千葉県 市川市 小岩 茶道具 古美術 絵画  買取 あんてぃっく壱
  • にゃおそふとプライベート
  • うづらのたまご
  • 青の傭兵
  • 小田原で木彫
  • 花のように
  • ビーチサイドの人魚姫
  • 花筐~花がたみ
  • デジカメ人
  • ビールは命の泉です。
  • アダルトチルドレンのまま楽に生きる
  • 全日本丸顔協会
  • ぷりしら商店の雑貨達
  • 愚行の日々を
  • アメリカ観光おすすめスポットまとめ
  • 旅レポート
    ブログランキング

    不如帰 戦国武将の幻影

    武将が騒がしくて、音がうるさい場合はサウンドを(Sound ON)をクリックしてください。SoundがOFFになります。

    (1)サムライに斬られないように注意しながら、かがり火を2回クリックして炎を青くすべし。 (2)左右の炎を2つとも青くすべし。 (3)その状態でサムライに斬られるべし。 (4)カーソルが斬られる瞬間、クリックすべし。 (5)タイミングが合えば、システムが起動する。

    最新記事

    月別アーカイブ

    カウンター

    ブログランキング

    blogram投票ボタン
    プロフィール

    不如帰の幻影

    Author:不如帰の幻影

  • ☆☆著者HPへアクセス・保険☆☆
  • ☆☆著者HPへアクセス・起業☆☆

  • 最新トラックバック

    カテゴリ

    RSSリンクの表示

    ブロとも申請フォーム

    この人とブロともになる

    QRコード

    QRコード

    検索フォーム

    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。