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Ⅱ 争覇 乱世の英雄


 さて、秀吉は長久手の敗戦によって、いまだかつてないほどの痛恨劇・慙愧骨を刺すの思いをさせられ、後日の名誉挽回を期して伊勢・美濃に侵入して自ら敵状偵察を試みたのであるが、連合軍側の構築した無数に広がるタコつぼのような防衛陣地を視察して驚愕し、織田信雄・家康との対決が恐ろしく長引いて難航するのを危惧しはじめた。

 秀吉にとってこの戦いは、まさに織田家纂奪の総仕上げ、織田信雄をサッサと片付けて始末してしまうための絶好の好機到来だったのであるが、信雄の背後にいる家康の存在が秀吉の眼前に大きく立ちはだかり、今や織田家の為に義戦を続ける英雄徳川家康・恐るべき秀吉の好敵手となって竜虎のように大きく立ち現われたのである。

「これはもう、よういかんわい。」と、秀吉は大きなため息の一つももらしたい心境であったろうが、しかし、秀吉は起死回生の窮地を何度となく切り抜けてきた人物、陽気で明るいプラス思考の持ち主なのだ。
 
明晰で俊敏な頭脳もたちまち素早く回転する。


 確かに、徳川家康は恐るべき大敵ではあるが、信雄と単独講和を結んでしまえばすべてが済んで解決すると考えたのであった。

 家康は信雄に肩入れして助勢し、そのうえ、
「主家簒奪を謀る秀吉をこらしめるために、徳川家の総力を結集して義戦を上げているのだ。」という名目まで堂々と振りかざして結構人ズラしているが、しかし実のところ、信雄が滅ぼされれば次は自分の番であることを懸念しての挙兵であったという側面もあったのだ。

だから、この際、信雄を一挙に葬り去ることはしばしの間は諦めて、例えれば「ゆでガエル」のように、しばらくの間はたっぷりと心地よい思いをさせてやり、適度で快適な水の入った鍋の中に丁重に入れて気持ち良い思いをさせてやっておいて、
しかしその一方では弱火で少しづつ少しづつ徐々に加熱していき、当の張本人はいずれは煮えたぎる熱湯になるとも気づかずににのん気に構えていて、しまいには知らず知らずのうちに茹で上がって煮殺されてしまうカエルのように始末してしまおうと思ったのであろう。

 また、信雄との単独講和が成立すれば、家康は織田家に助勢する大義名分を失うことになるのだ。

その結果、この泥沼と化したまどろっこしい戦争も終結することになるのだし、そもそも秀吉には徳川家康と対決して争わなければならない理由はもともとなかったのだから、今後は得意の外交戦略でうまく丸め込んでしまって我が薬籠中にすることもできるかもしれないと考えたであろう。
 
 しかし本来ならば、どだいこんなに調子よく交渉がスムーズに進むはずがないのだが、織田信雄は暗愚で軽薄短小な人物のようであるし、しかも今回の戦いにおいて、所領の伊賀国全部をいっきに失い、伊勢全土もたちまち全部奪われて、頼みの綱の尾張の一部もしっかりとかじり取られてしまっている状態だったのだ。
「つまらない戦いをしでかしてしまったものよ。」と、内心は後悔していても全然おかしくない惨状だったのだから、秀吉との講和に乗ってくる可能性は十分にあったわけである。

 もとより、織田信雄は凡庸なお坊っちゃん育ちの独善的で身勝手な人物だったようであるから、自分の為に粉骨して働いてくれた家康のことなど、利得につられて真っ先に忘れ去ってシゲシゲと秀吉との会見に応じてしまう可能性のほうが高いのである。
どのような職業であろうとも、苦労人の創業者にはふっくらとした人間的な温かみが感じられるものであるが、しかしその子供たちは周りからチヤホヤされて育てられているからどうしても苦労が足りない。

自信過剰で独善的な判断に陥りがち、常に驕慢で高圧的な態度をとりがちだ。
 
織田信雄は温室育ちの苦労の足りないもやしのような小才子だったようであるから、おそらくは、家康に対して日雇いのアルバイトにいきなり暇を出すようなデカイ態度をとりながら、
「羽柴とはめでたく和睦とあいなり、今までの助勢、かたじけない。」などと、とぼけた口上を言い放って、その一言で家康への感恩をすべて片付けてしまいかねない人物だったようである。


 少し長い余談になるが、諸説によれば織田信雄はあまり評判の良くない人物である。
 
世間知らずのボンボン育ちで、慣習の逸脱を嫌うコテコテの常識人であり、しかし現実離れした理想論を振りかざす一面も持ち合わせていたようであり、つまらない自信家で唯我独尊が骨髄に染みわたっている人物だったようにも思える。

 しかしながら、世間知らずの温室育ちのボンボンだったからこそ、実に感情的で、感傷的で、心の優しい人情家で、人を疑うことに馴れていない、人間の洞察に鈍感な人物だったのかもしれない。
このようなタイプの人物は、冷血非情な現実主義者に乗じられて足元をすくわれるケースが多い。これは今の現代だって同じことだ。
 
 誠実で情け深い人であればあるほど、そのような人に限って自己中心的で薄情な人物に振り回されて、うまく利用されて損をさせられるケースが多いのだ。
特に身内・親族、親友など、親しい間柄であればあるほど、その人物が情け容赦の無い非情な現実主義者であった場合には、相談と称して困ったことや難儀なことをどんどん押しつけてくるものだ。
しかし、逆に相手が困ったり、窮地に陥った場合には、全く無関心で、無視するばかりで、全然手助けしないのである。

だから、誠実で心の優しい人は、時には、本当に心苦しいと感じるかもしれないが、非情と思えるほどの決断をしなければ、守るべき人・守らねばならない大切な人(恋人・家族など)を守ることができない事態に陥ってしまうのである。
相手の胸中・境遇に同情して、義理・人情にかられて、連帯保証人になったがゆえに一家離散などという災難に遭ったという悲劇が後を絶たないのもそのためであろう。

 むろん、秀吉・家康は英雄中の英雄であり、薄情で冷血漢な人物などでは決してないが、しかしトップとしての立場上、時には冷徹なまでに実態に則した現実主義に徹しなければならないというきつい実情も現実的にあったのである。これは戦国時代に限ったことではなく、歴史上の人物伝に精通する者であれば容易に気づくことである。

親族愛を渇望しているはずの源頼朝が義弟の義経の首を執拗に追い、兄弟愛の第一人者であったはずの足利尊氏が無残にも弟の直義を毒殺し、足利義満は最も信頼していたはずの幕府の大功労者であった細川頼之を追放している(しかし細川頼之は後年、義満に招かれて幕府の閣僚として返り咲いている)。
 それぞれの詳しい経緯については長くなるので書かないが、このようなケースは歴史上、枚挙にいとまがないほどに多い。
トップとしての立場上、実に心苦しい痛魂の極みではあるが、しかし非情の決断を下さなければならないという厳しい現実がそこにあったからであろう。
 
 また、彼らが英雄に足る大器量人であったからこそ、観念と唯物とのバランス感覚がうまく働いて厳しい現状を乗り切ることができたのかもしれない。

この「観念と唯物とのバランス感覚」を失い、迷走してやがて滅んでしまった人物も歴史上に数えきれないほどに多いが、しかしこれも今の現代と同じだ。
優等生の小才子に多い傾向であるが、あくまでも現実主義に固執して非情性が増し、やがて人望を失って孤立して滅んでしまう者、理想論に執着して排他的な暴虐性が増し、結果的に悲惨な災厄をもたらして落伍していく者、偏狂的なアナーキズムに偏り、やがて道徳心を欠いて混乱をもたらしてしまう者、近年においても枚挙にいとまがないのである。


 さて、ところで万が一、織田信雄が和睦交渉に応じなかった場合には、秀吉はどうするつもりだったのだろうか。
 伝承的な逸話によれば、
「その時は食攻めの力攻めだ。信雄と家康との領土を一つの巨大な城に見立てて、まずは陸海の糧道を封鎖して食糧攻めをする。領内の良民らの混乱ぶりは火を見るに明らかだ。そうしておいて、その領内の諸豪族どもには調略をしかけて寝返らせ、内応を誘って内乱も誘発させる。関東の諸侯には莫大な恩賞を約束して参戦を促す。敵対する可能性のある古豪の北条家は上杉・佐竹・芦名に牽制させる。時間はかかるかもしれないが、やがて信雄・家康のほうから勝手に自壊していくわい。」と、豪語したというのだが、伝説的な逸話とはいえ、これはあながち嘘ではあるまい。

 確かに連合軍側は羽柴勢の撃退に成功はしたが、しかし秀吉の本隊を追撃する余力も、上方に迫るだけの余力もなかったのである。
 また、長久手の戦いは家康自ら指揮する全力戦であったが、羽柴勢は敗れたとはいえ、これは一部の先鋒部隊の戦いでしかなく、他に数十万もの大軍勢が諸所の戦線において展開中だったのである。

 
 私見になるが、たとえ持久戦であろうとも、秀吉が本腰を入れ、羽柴勢の総力を結集して家康の覆滅を図っていたならば、徳川家は間違いなく滅んでいたであろう。
 
 紀伊の雑賀衆は家康に呼応して挙兵し、秀吉の後方をかく乱するために三万余りもの大軍勢を率いて出撃し、羽柴方の岸和田城を抜いて大坂城付近に迫る勢いであったが、黒田官兵衛・中村一氏の軍勢に難なく撃退されている。秀吉の勢力圏、資金力、軍事力は家康のそれとは全く比較にならないほどに絶大だったのだ。
 
 
 また、秀吉は徳川家に脅威を感じながらも、家康のことを愛惜したのではないかと思われる。

 
 これは結果論からの推察ではない。秀吉という人物の経験則に基づいた考察なのである。

 
 秀吉の性質は陽気で明るいプラス思考の持ち主であることもそうだが、さすがに卑賤の身上からのたたき上げの人物であっただけに、その生涯を丹念に調べ上げると実に辛抱強い人物であったこともよく分かる。

 
 そして、耐え難い辛い経験を何度となく積み重ねてきたがゆえに、人情の機敏に敏感で、実に寛容で寛大だ。

 
 秀吉の脳裏に浮かんでいたもの、それは家康の招致であり、それが秀吉の宿命に似た必然であったかのように思えてならない。


 秀吉のことを「人たらし」であったとか、「詐術で天下を取った男」などと喧伝する諸書も散見するが、これは知識余りあって教養の欠いた見解であるように思われる。

 
 辛口になって恐縮ではあるが、頭デッカチの、世間知らずの経験の乏しい狭量な人物は、軽薄短小のつまらない色メガネで物事を見ているものである。

 


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【2010/05/26 10:26】 | 未分類 | コメント(0)
Ⅰ 争覇 乱世の英雄
     

 さて、秀吉は家康・織田信雄連合軍の覆滅を期して、大急ぎの怒濤の勢いで長久手の地に向かって軍旗を進めて行くのであるが、しかし、一方の家康のほうはさすがに老練な名将ぶりを発揮して見せている。

家康は長久手での幸先の良い大勝利に酔いしれて驕りたかぶることなく、早急に総勢をまとめ上げるとサッサとその地を引き払い、早々と小幡城に戻り着いているから、これは一筋縄ではいかないほどのしぶとさ、野戦に精通する知将にふさわしい老練ぶりだ。秀吉の本隊の来襲を予期しての手配りであったろう。以前の賎ヶ岳の戦いでの佐久間玄蕃盛政とはケタ違いの大物だったのである。

 
 こんなわけだから、秀吉は家康から肩透かしを食らうことになってしまった。
 
 秀吉の大軍勢を足止めにする為に、あの手この手でさかんに挑発していた徳川方の本多忠勝も、家康の動向を知り得ると小幡城に向かって走り急いでいる。

 秀吉は切歯扼腕し、すぐさま小幡城を標的にして兵馬を向け、本隊の精鋭部隊を足早に先発させてその城外を厳重に包囲したのであるが、しかし家康・織田信雄は素早くもその日の夜半頃には密かに城を脱出して本営の小牧山城に帰り着いているから、またもや家康にだしぬかれた形になってしまった。

 
 秀吉は憤懣おさまらずの心境であったろう。

 長久手の敗戦は、連戦連勝の不敗を誇る秀吉の戦歴にバカでかい風穴のような大疵をつけられたようなものになってしまったのだ。
秀吉の「ひょうたん」の馬印、戦いに勝利する度に一つずつひょうたんの数が増えていき、ついには千個を数えるほどになったという後世の逸話で有名な「千成ひょうたん」に、いきなり泥水をぶっかけられたようなものなのである。
このままでは、長久手での敗北によって秀吉の総司令官としての信用はガタ落ちであるし、秀吉に味方する織田の旧臣たちの今後の動向も分かったものではないし、この敗戦の噂が針小棒大な形になって諸国に知れ渡ったりしたら西国の毛利、東国の上杉の動静も未知数なものになってしまう。

 ここはなんとしても家康・織田信雄と決戦して快勝し、すぐにでも巻き返しておかなければならない秀吉の大事な正念場だったのである。

だから、もはや家康・織田信雄不在の抜け殻のようになった小幡城なんぞにいつまでも構っていられない。
秀吉は翌日の早暁には総退陣の命を下し、殿(しんがり)を武将の蒲生氏郷に任せて小幡城への備えとし、すぐさま軍勢を率いて小牧山城周辺に戻りついて軍勢を展開して厳重な包囲網を敷いた。

 しかし、小牧山城は堅牢な要塞だ。

 秀吉はまたまた攻めあぐみ、何度となくさかんに挑発してみるものの、家康の方は相変わらず亀のようにジィッとしたまま籠城して微動だに動かなかったし、それどころか織田信雄の本拠である清洲城との連携をさらにいっそう強化して強固な防御線をしき始めたから、戦線はまたもや泥沼の膠着状態に陥るのであった。

 これは秀吉にとって焦らざるを得ない苦しい状況下だ。秀吉には悠長に構えていられない諸事情がある。
 
 西国の毛利の動静は予断を許さないし、紀伊の雑賀衆が四国の長曾我部と連携して秀吉不在の大坂の地を狙っているようであったし、京都の朝廷では謀略好きの公家さん連中が不穏な動きをみせるかもしれないし、東国の上杉、北条の動きも冷静に監視する必要もあったろう。

 秀吉はしばらく対陣を続けた後に、蒲生氏郷に後陣の後始末を任せて大坂に引き上げ、家康もその後、小牧山城から清洲城に移って羽柴勢の動向を見極め、いったん本拠地の浜松城に引き返している。


 そしてその年の八月、秀吉は再び大軍をもよおして美濃に入り、先鋒部隊を例の楽田城にまで出し、木曾川下流域に複数の砦を構築したり、付近を焼き働き(村々を焼き払って掃討し、武威を見せつけるのである。当時の良民たちにとっては迷惑千万な話しだ。)して家康・織田信雄を誘い出す方策に出るが、しかし家康・織田信雄は清洲城下に兵馬を集結して微動だに動かなかったから、この時はたいした戦闘になっていない。

秀吉はこの時、丹羽長秀を使者にして家康・織田信雄との和睦交渉を試みているが、しかし秀吉の提示した和睦条件が実に尊大極まりないものであったし、家康・織田信雄の方も負けたわけではないのだから素直に聞き入れるはずがない。
 
 和睦交渉は全然まとまらずにまるで埒があかない様相を呈して終息を見ている。

 
 さらにその年の十月下旬、秀吉は大がかりな偵察大隊を率いて伊勢・美濃に入って自ら敵状偵察を試みている。
 連合軍側によってまるで蜂の巣のようにあちらこちらに強固な砦が構築されており、あたかもクモの巣のような連携網がビッシリと張り巡らされていたから、攻め込むにしてもなんとも危険千万な状況だ。
「こりゃ、いかんわい。長びきそうじゃ。」と言って、ため息をついて肩を落とす秀吉の姿が目に浮かぶようである。

 余談だが、諸書の解説によれば、秀吉VS家康の「小牧役」に関する部分はサラッと流してすぐに済ませてしまっているような印象を受けるが、実は半年以上にも渡って継続的に行われていた戦いだったのである。



 ところで、以前に少し書いたが、越前の大野郡でわび住まいしていた滝川一益は小牧役の風雲急を告げる最中に秀吉からの依頼を受けて北伊勢に向かい、織田・徳川連合軍に一泡吹かせようとて神戸城に入って虎視眈眈と戦略を練っていた。

そして、付近の蟹江城に狙いをつけて調略をもって味方に引き入れ、蟹江城の支城である大野城には兵船をもってして軍舟で押し寄せたのであるが、潮の流れを読み間違えてしまったからこれがなかなかうまくいかない。
鳥羽の九鬼水軍の助勢を得るも、潮合いが悪すぎて攻城に手間取ってまるで埒があかないのだ。その軍勢のほとんどが河口付近の海上で右往左往するような状態になってしまった。
その上、清洲城の家康・織田信雄連合軍が短兵急に駆けつけて来て、川沿いをビッシリと固め始めたからうかつに上陸することもできない。

そのうちに連合軍側が逆襲に転じて猛攻撃を仕掛けてきたので攻城を諦め、支城の下市場城に拠って防戦するも、ついにここも支えきれなくなって蟹江城につぼんで籠城することになってしまった。

 
 その後、蟹江城は家康・織田信雄連合軍によって厳重に重囲され、熾烈な猛攻を受けて降伏、開城している。

 
 滝川一益は助命されたようであるが、その後の消息については伝承的な逸話ばかりでいっさい不明である。

 越前で丹羽長秀の世話になっていたとか、出家したとか、一揆勢に殺されたとか、餓死したなど様々であるが、しかしかつては織田信長が信任するほどの将器であり、柴田・丹羽・明智・羽柴と並び称される織田家の輝かしい師団長だったのであり、関東では滝川の名を聞いただけで震え上がるほどの将領だったのである。

 私が敬慕してやまない海音寺潮五郎先生は、新太閤記(四)の中で、
「滝川一益は運に見放されたのだと思う。」と言っている。

また、「蟹江城というのは伊勢長嶋城と尾張清洲城とのちょうど中間地点にあり、この連携を断ち切るというアイデアは滝川一益の卓抜な戦略眼を証明している。ボケていないのである。」といった内容も書かれている。


 確かに、運に見放されては機知・機略だけではどうにもならず、英雄になることもできないのかもしれない。


 しかし、心情的に滝川一益の末路を想う時、どうしようもない寂寥感に襲われ、男の涙なきを得ない。


 これは戦国時代に限ったことではないが、厳然たる盛者必衰の哲理とは、本当に無情である。



 

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【2010/05/10 14:26】 | 未分類 | コメント(0)
不如帰 ~戦国武将の幻影~


Ⅰ<覇王編>~逆賊 織田信長を討て!~  Ⅱ<争覇編>~織田家簒奪!秀吉の野望~

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