スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【--/--/-- --:--】 | スポンサー広告
Ⅰ 両雄の対決
 

 さて、秀吉は小牧の役において芳しい戦果を上げることができず、憤懣を残しながらも外交戦略に切り替えてひとまずの休戦、織田信雄と家康との和睦交渉に向けて策動しはじめた。

 
諸説によれば、秀吉は小牧の役が泥沼のこう着状態の様相を呈してきて、ただひたすらに小牧山城に籠もっていっこうに出撃する気配を見せないでいる家康に対して、
「さてさて、もちにても網にてもとられぬ名将かな。かかる名将を他日、長袴を着せて上洛せしめんこと、わが方寸にあり。」と言って豪語したという逸話があるが、しかしこれは結果論から導き出された推測のような話しであるように思われる。

確かに、後年の家康はそうせざるを得なくなって秀吉に臣従することになるのであるが、しかし現段階での秀吉には、前述の逸話のような大言壮語を言い放つほどの余裕はなかったはずなのである。

 徳川家康は、秀吉の旧主である織田信長の盟友だったのであり、信長の信頼に十分すぎるほどに応えることのできた大器量人だったのであり、初めかられっきとした徳川家を率いる戦国大名であったが、秀吉はどこまでも織田家の旧家臣・信長の配下の一武将だったにすぎない。
 
 秀吉が柴田勝家征伐の後に、家康にご機嫌を取り結ぶかのように巣鷹や名刀の数々を贈っているのも、朝廷に奏上して官位を自分よりも家康を上位にしているのも、これらすべては家康が侮りがたい恐るべき大人物であると考えての手配りであったに違いないのである。

 しかも、家康の支配する領国は今や三河・遠江・駿河・甲斐・信濃の五ヶ国にも及ぶという大大名になっていたのだ。

 さらに、家康の老練な武勇知略といい、諸将を束ねる卓抜な統率力といい、それらを如実に証明して見せたかのような長久手での輝かしい戦いぶりといい、秀吉の心胆を十分に寒からしめるほどの恐るべき大敵に成長していたのである。

 飛龍昇天の勢いとは、まさしくこの時の家康のことをいうのであろう。

 秀吉の豪放闊達・大言壮語癖は実に有名であるから、あるいは前述の逸話は秀吉の強がりも手伝って語られた本当の話しだったのかもしれないが、しかし秀吉の心底は焦りに似たもどかしさでいっぱいであったろう。今後の家康への対処方法に苦慮し、何度となく焦慮しては悩み抜いていたに違いないのである。



さて、徳川家康の方はさておいて、一方の織田信雄のほうだ。

 秀吉は早急に織田信雄に使者を送って、
「この度の合戦では、前後を悔いて慙愧骨を刺すの思いでございます。いまさらながらではございますが、心を悔い改め、今後とも今まで通り、信雄様を主人と仰ぎ奉る気持ちに変わりはございません。以前にも増して、さらにいっそうの忠勤に励んでご奉公させていただきます。」といったようなシラジラシイことを急使の口を借りて言わせ、早々に和睦したい旨も伝える。

 だいたい、そもそも小牧の役の発端は、秀吉のほうが織田家の簒奪をもくろんで信雄に対して仕掛けた戦いだったのだから、これは老練な物言いというよりも、恐ろしく老獪で腹黒い言い草だ。

 普通のまともな人物であれば、こんなことを言われたら逆に腹が立って逆上しかねないはずなのであるが、凡庸なお坊っちゃん育ちの信雄にはことの真意がぼけて見えているのか、霞んで全然見えていないのか、あまりよく理解できていない。

アホウといってしまえばそれまでなのかもしれないが、頭の中がなんとなくまどろんで霧がかったような状態になっているのであろう。
このような人物にとっては、物事はすべて自分の都合の良いように解釈して考えた方が自然で無理がないし、なにしろ気楽であるし、いろいろと考えて悩む必要もないし、面倒も少ない。

 自分にとって都合の良い予想や予測ばかりを立てたがるのも、これも暗愚な人物には常にありがちな特性だ。

しかしながら、今の現代日本の政治家たちにもこのようなタイプの人物はゴロゴロいるのだから、なにも信雄に限ったことではないので彼を一概に責めるつもりはないのだが、とはいえ、信雄はあんなに世話になっている大恩人の家康の存在をきれいにサッパリと忘れ去り、逆に秀吉の言葉を随分と心にしみてありがたがって、すっかりコロリと参ってしまい、その挙句に騙されてしまっているのだから世話はない。

 
 これが、これがあの織田信長の息子かと思うと、怒りを覚えるどころかむなしい寂寥感に襲われ、なんとなく悲しくなって涙がこみ上げてくるような思いがする。

 バカにつける薬はないというが、これもやはり運命なのであろう。


 一方、秀吉のほうはぬかりなく信雄を即座に釣り上げる為のエサを用意(秀吉は信雄との単独講和の際に贈呈用の目録を用意し、金銀・名刀・数万石の兵糧米を贈る約束をしている。)し、寛大にすぎるほどの和睦条件(信雄に尾張北部の犬山城などの一部を除いた尾張全土・伊賀の一部・伊勢の四郡などの領有権を認めている。)を事前に考案していた。

これらすべては家康の邪魔が入らないうちに、とりあえず信雄との単独講和を早急に実現させてしまおうという秀吉の実に入念で老獪な用意周到ぶりであった。


 こんなわけだから、信雄は実によい気分だ。

 秀吉の言葉をすっかり鵜呑みにするほどのアホウな能天気ぶりなのだから、心の晴々とするような思いであったろうし、秀吉が頭を下げて謝っているような感じもするのでなんといっても気分爽快だ。

信雄はすがすがしいといった面持ちで、
「秀吉のわしに対する気持ちはよくわかった。この度の和議の件、秀吉に敵対する意志がないのであれば、快く承諾するであろう。」といったようなとぼけた口上を披露して真顔で返答しているぐらいだったのだから話しは早い。
秘密裏の和睦交渉はスラスラと進んでいき、そしてその年の十一月十一日、桑名にある町屋川という河原付近で秀吉と信雄が参会することになり、そこでアッサリと和睦が成立したのであった。


 これでばかをみたのが家康だ。

 家康にとって、信雄は争覇戦における唯一の御輿であった。

 信雄の切なる頼みごとを快く聞き入れ、このバカな御輿のために徳川家の貴重な戦力、すべての総力を結集して投入し、長久手の戦いにおいては自ら陣頭指揮まで執って壮絶な死闘をくりひろげたのだ。

 その戦費は随分とかさんだものであったろうし、奪い取った領地なんか全然ないのだから、これでは大いに働いてくれた家臣たちに十分な恩賞をあてがうこともできない。

 これでは全くの骨折り損のくたびれもうけどころか、大損害そのものだ。


 しかしながら、家康は決して犯してはならない政略的なミスをしでかしていたことも事実だ。いうまでもなく、御輿の信雄をあっさりと秀吉に奪われてしまったことである。
 
 まさかの事態に対処できてこそ、それが有能な政治家というものであろうし、秀吉はそれを難なくやってのけているのだ。
 信雄の稀にみるアホウぶりが幸いしたともいえるが、これは明らかに家康に勝る政治手腕であり、秀吉の卓抜な政略の才といえるであろう。


 ここで余談を書くが、江戸時代の幕府の御用学者らは長久手の戦いを引き合いに出して、小牧の役は徳川方の勝利であり、その武力においても、徳川方が羽柴家よりも断然に上であったと決めつけている。

 大いに笑うべし、である。

 小牧の役は、秀吉の勝利であったと判ずるほうが自然なのだ。

 戦争とは、あくまでも政治力学上でのバトルフォースを意味する。したがって戦争とケンカは全然違う。戦争は私闘ではない。戦争とは、あくまでも政治の延長であることを忘れてはならないのである。

 徳川家は、羽柴家と交戦中の期間に御輿の信雄を失ったわけで、この段階で徳川家は政略的に敗北したのである。戦争に限らず、外交も政治の延長であることに変わりはない。

 また、長久手の戦いにおいては、秀吉は一部の先鋒部隊が大損害を被っただけで、秀吉の本隊は全くの無傷だったし、羽柴勢は十万をゆうに超える大軍勢であった。一方の徳川方は総力を結集した全力戦で、家康が自ら本隊を率いて長久手の合戦に参加している。

 そもそも、一部の局地戦での勝利だけで武力を推し量るのであれば、後年の上田合戦に大勝利した真田家は、徳川家よりも強かったことになってしまう。

真田昌幸は老練な兵家の大家であり、卓抜な用兵を駆使して上田城に押し寄せる徳川勢を撃退したことは紛れもない事実ではあるが、しかし当時の両家の勢力を比較考量すれば、これは徳川家が断然上であったことは一目瞭然なのだ。

 戦力とは、大局的に両軍の勢力圏や総力をよく鑑み、戦局の推移も十分に考慮した上で総合的に判断されるべきものであろう。


 まぁ、徳川家お抱えの御用学者であったこともあり、ごますり上手であることも必要であったのであろう。


スポンサーサイト

テーマ:歴史小説 - ジャンル:小説・文学

【2010/07/06 08:59】 | 未分類 | コメント(0)
不如帰 ~戦国武将の幻影~


Ⅰ<覇王編>~逆賊 織田信長を討て!~  Ⅱ<争覇編>~織田家簒奪!秀吉の野望~

不如帰 戦国人物伝


美容室・ヘアサロン・ネイルサロン専門税理士

ランキングに参加しています。。。バナーをクリックして頂けると励みになります!

お気に入り

  • 紫電改を伝えたい!あいなんからの祈り
  • 日本百名城の旅
  • ひこばえ
  • ghost mail
  • 芸能エンタメ タレント最新ニュース&ランキング
  • 怖い話します
  • おんぞーし ノブ様
  • ☆オリジナルの高校数学の問題を掲載していきます☆
  • 嘘八百のこの世界
  • KEEP CALM AND WARBLE ON
  • 国時代を追いかけて日本の歴史つまみ食い紀行
  • 戦国&幕末 セレクト日本史
  • 心のうた|みよ@こたつむりが詠む詩集
  • 天満のイラスト日記!!
  • 施設内虐待(高齢者虐待)と戦う
  • にゃん吉倶楽部
  • 龍好き画伯の妻
  • 穴掘って吠えるでござる
  • えくぼママの喜怒哀楽三昧♪
  • 愛犬ジュジュのときどき後ろ前!?
  • 道東からのフォト
  • 花の店みちくさ
  • すずめ四季
  • 猫ろころころ
  • 極小ヨーキーの子犬がやってきた!
  • 木工と個別課題の部屋
  • 残された石垣を見つけたい
  • のんびり ゆったり 自遊気儘
  • 鼻毛虎日記
  • 別府葉子公式ブログ ~葉子通信
  • ノーベル賞候補犬 サンちゃん
  • 下町ESPRIT
  • 戦闘SLGプレイ日記
  • 東京ぶらぶらり
  • 千葉県 市川市 小岩 茶道具 古美術 絵画  買取 あんてぃっく壱
  • にゃおそふとプライベート
  • うづらのたまご
  • 青の傭兵
  • 小田原で木彫
  • 花のように
  • ビーチサイドの人魚姫
  • 花筐~花がたみ
  • デジカメ人
  • ビールは命の泉です。
  • アダルトチルドレンのまま楽に生きる
  • 全日本丸顔協会
  • ぷりしら商店の雑貨達
  • 愚行の日々を
  • アメリカ観光おすすめスポットまとめ
  • 旅レポート
    ブログランキング

    不如帰 戦国武将の幻影

    武将が騒がしくて、音がうるさい場合はサウンドを(Sound ON)をクリックしてください。SoundがOFFになります。

    (1)サムライに斬られないように注意しながら、かがり火を2回クリックして炎を青くすべし。 (2)左右の炎を2つとも青くすべし。 (3)その状態でサムライに斬られるべし。 (4)カーソルが斬られる瞬間、クリックすべし。 (5)タイミングが合えば、システムが起動する。

    最新記事

    月別アーカイブ

    カウンター

    ブログランキング

    blogram投票ボタン
    プロフィール

    不如帰の幻影

    Author:不如帰の幻影

  • ☆☆著者HPへアクセス・保険☆☆
  • ☆☆著者HPへアクセス・起業☆☆

  • 最新トラックバック

    カテゴリ

    RSSリンクの表示

    ブロとも申請フォーム

    この人とブロともになる

    QRコード

    QRコード

    検索フォーム

    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。