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Ⅴ 争覇 秀吉と家康



さて、織田信雄は猜疑心のとりこになって家老たちをことごとく謀殺したのであるが、その家老らの領地内はだしぬけに主人を失って蜂の子をつついたような大騒ぎだ。

領内の知行地を任されてあずかっている将士らは、乱心したかのような信雄の暴虐非道の仕業に驚いて恐怖し、
「ばかにつける薬はないというが、まさにこのこと。いずれは無理難題をふっかけてくるのも必定じゃ!」といった感じで信雄の厳しい追求を恐れて離反したり逃散する者たちが続出し、その噂は疾風の如くたちまち四方八方に知れ渡って信雄の領国内は乱れに乱れた。

 秀吉はこの尾張・伊勢・伊賀のてんやわんやの状態を好機到来と見て、
信雄のことを大名にあるまじき暗愚な暴君であるとか、信長さまがつけおかれた家老衆を謀殺した暗君であるとか、したがって信雄の領内を安寧にするために義兵を挙げるのであるとか、信雄が実は以前から隠密裏に挙兵を企てていたのだとか、いろいろな苦しまぎれの大義名分をふりまわし、織田家簒奪の最後の総仕上げとでもいうべき信雄の征伐に踏み切る。

 しかし、信雄のほうも黙って指をくわえていたわけではない。

 信雄は即座に秀吉の打倒を宣言し、徳川家康の協力もつつがなく取り付けていたのである。
 
 諸書によれば、信雄は典型的なボンボン育ちで、わがままで実に身勝手な人であったようである。もとより、
「天下は、実力のある者の天下である。」といった世相には全然無関心で、
「俺は、あの織田信長の実の息子なのだ!」といって威張り散らすだけの愚昧な人物だったのであるが、しかしこのような凡庸な信雄であっても、背後に徳川家康が控えているのであれば話しは別だ。

 当時、家康の卓抜な武勇知略は実に有名で、織田家の諸将でさえも畏怖せしめている。秀吉と十分に相撲になるのである。

 そして、これは家康にとって千載一遇の好機到来であった。

 明智光秀の討滅を秀吉に横取りにされて以来、家康は再度の争覇戦の機会に恵まれたのである。

また、家康にとって秀吉はしょせん、運のよい成り上がり者にすぎないのだ。
「氏素性の知れない、どこぞの馬の骨。」と思っていたかもしれない。

 家康は信長の盟友であり、お互いに協力しあう相棒であった。秀吉はその相棒である織田家の旧臣にすぎない。

この旧家臣の横暴を断固こらしめ、信長の遺児である信雄に助太刀して擁立すれば大義名分も十分に立つ。
 
「世間体のよい大儀名分」は味方の将士らの勇気を百倍にし、その逆に大義なき軍勢の士気は恐ろしいほどに萎えてしまうものなのである。
「秀吉は織田家の簒奪をもくろむ叛臣である!」と決めつけてしまえば、下剋上の世相といえども、いや、下剋上の世相であればなおさら信義心は切望されるところであり、もっとも感動的に人の心を打つものであろう。
実に世間体の良い大義名分であるし、織田の旧臣たちの動揺も必定なところなのだ。
 
 さらに、あれよあれよという間に織田家を吸収し、日増しに大膨張する秀吉の勢力は、徳川家にとって脅威そのものであったはずだ。このまま棄ておいては徳川家も呑み込まれてしまう危険性が十分にあった。

 この際、凡庸な信雄を擁立し、織田の旧臣たちに働きかけて広く招き入れ、「天下の義軍」と称して秀吉の軍勢を撃ち破り、いずれは信雄を骨抜きにし傀儡してしまえば天下の権を握ることもできる。


 まさに、天下を賭けた大ばくちの打ちどころであった。

 家康は信雄と協力して事前に外交的な布石を打ち、四国の長曾我部・西国の毛利家に出兵を促し、
紀伊の本願寺派の雑賀党には、
「勝利の暁には、大坂・加賀の地を返し与えるであろう。」といって旧領の回復を約束して秀吉不在の大坂城をつくように扇動し、越中の佐々成政にも使者を送って協力を取り付けていた。

 
 しかし、秀吉の外交戦略はもっと大がかりで遠大であった。
 
 長曾我部の押さえは淡路洲本の仙石権兵衛に任せ、毛利に対する備えは岡山の宇喜多家に依頼し、秀吉の最も頼りにする播州・但馬には羽柴秀長を配置して西国を監視させ、軍需物資・補給路の確保に努めさせている。
秀吉の金銀の大半は播州・但馬から生まれていたといっても過言ではなかったから、ここは軍資金などの財源となる重要な生命線であった。

そして、大坂から岸和田にかけては黒田官兵衛・中村一氏・蜂須賀家政(小六正勝の息子)に任せて雑賀衆の襲来に備え、加賀の前田利家と越後の上杉景勝に働きかけて越中の佐々成政を押さえ、
特に景勝には上杉家の領する信州川中島郡から家康の甲州・信州を狙わせ、常陸の佐竹家とも連携させて小田原北条氏を牽制することまでしている。
これは徳川と北条が親戚の間柄だったからだ。昨年、北条氏直の元に家康の娘のおふうが嫁いでいたから、北条家が徳川を支援する恐れが十分にあったのである。詳細は別の章に書いている。思い出して頂きたい。

さらに、織田信雄・徳川家康の配下の武将たちに得意の調略を仕掛けて秀吉の陣営に寝返らせる裏工作までしている。
信雄の家臣では丹羽氏次・沢井雄重、家康の配下では水野忠重、すべてことごとく断られて失敗しているが、成功したのは美濃大垣城主の池田勝入斎とその聟で鬼武蔵の異名で名高い森長可を味方に引き入れたことである。

 以前に別の章で書いたが、池田勝入斎は信長と乳兄弟同然の仲であったこともあって以前から生粋骨髄の織田方で、人質として次男の輝政を信雄の元に送って忠誠無私を誓っているほどであった。

 しかし、秀吉からの誘いがあってからの勝入斎の心はゆれはじめる。

 以前、秀吉が大坂に城を築く際に、勝入斎は秀吉の懇願によって摂津から美濃大垣に移ったのであるが、摂津で六万石だったのが大垣で十万石という加増にあずかって移封している。

こうした秀吉からの増封の恩がある上に、秀吉の甥の秀次には勝入斎の娘が嫁いでいたから親戚筋となって懇意な仲になっていた。
今回の戦いは秀吉のほうが優勢であるように思えるし、秀吉の急使からは、
「ことの成就の暁には、三河・尾張・美濃の三国を進上いたしましょう。」と言ってきている。

こんな約定は、決まって空手形に終わることを分からないではない勝入斎であったが、武勇に絶大なる自信を持っている上に、功名を立てればそれ相応の褒賞も期待できるところであろう。

欲をかけばかくほど迷うのあった。

しかし勝入斎は人質の輝政のことが気がかりで踏み切れずにいたのであるが、瀕すれば鈍する、窮地の時には知恵の鏡も曇るものなのであろう、
「勝入斎の織田家に対する忠義は特別である。こんな時にこそ、水くさいことは抜きにして、人質を返してやれば勝入斎は逆に感動してさらにいっそうの忠勤に励むであろう。」などと、信雄はのん気なことを言って輝政を送り返してきたのであった。

 
 これで勝入斎の腹は決まった。


 森長可も勝入斎の助言に従って羽柴方となった。


 秀吉は越前大野郡でわび住まいしている滝川一益にも使者を送って再起の機会を与えた。

 滝川一益は勇躍し、すぐさま手勢を率いて北伊勢に向かっている。

テーマ:歴史小説 - ジャンル:小説・文学

【2010/02/12 01:21】 | 未分類
不如帰 ~戦国武将の幻影~


Ⅰ<覇王編>~逆賊 織田信長を討て!~  Ⅱ<争覇編>~織田家簒奪!秀吉の野望~

不如帰 戦国人物伝


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