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Ⅰ 一騎当千の騎馬武者


 さて、早暁の濃霧の果てしなく広がり流れる中を、一群の黒みわたる大軍勢が息を押し殺しながらひたひたと羽柴秀次の陣営付近にまで肉迫していき、だしぬけに弓・鉄砲を撃ちかけ始めたからたまらない。

 秀次勢はまさかの朝駆けをくらって狼狽しているところに徳川勢が気勢を上げながら突入してきたから、たちまち四部五裂の大混乱の状態と成り果てた。
応戦する暇もなく、その将兵たちは驚き慌てながら先を争って逃げ出し、総大将の秀次が逃走用の馬を探し求めてとほうに暮れたという逸話があるぐらいだから、この混乱ぶり推して知るべしである。

 徳川勢はまるで狩りの獲物を追うかのように秀次勢を次々と討ち果たしていき、急追撃を何度となく敢行して徹底的に蹴散らして殲滅した。

 
 こうして、羽柴勢の本陣はダラシガナイほどの大損害を被りながら消え失せ、総大将の秀次がその尻に火がついたように戦場から離脱してサッサと行方をくらましてしまったから、せっかくの中入り部隊は総大将不在の流軍と成り果ててしまったのである。

 将棋に例えれば、使える駒がたくさんあるのに、手始めの出し抜けに王将を取られて負けてしまったようなものなのだ。無残というよりも、こんなに気持ちの良い負けっぷりは実に珍しい。珍重すべきである。
 
 さて、このまさかの敗報に戦慄した堀秀政は、すぐさま秀次勢の救援に駆けつけたのであるが、時すでに遅く、そのほとんどすべてが全滅していて影も形もない。
それどころか、前方にこつぜんと姿を現した徳川方の急先鋒、水野忠重の軍勢と早くも接触し、壮絶な大激戦となった。

 堀秀政は巧みな用兵を駆使して徳川勢を逆に押し返し、敵勢を大きく切り崩しながら勇戦して見事にこれを撃退している。
しかし、後続の家康の本隊がたちどころに姿を現して逆包囲の構えを見せたので、堀秀政は兵力の消耗を懸念して撤退を決意し、徳川勢につけいる隙をあたえずして早々と引き上げにかかっている。

 諸史料によれば、この時の堀秀政の戦いぶり、引き上げぶり(しっぱらい)が実に見事であったようである。
 
 この戦後、家康が堀秀政のことを激賞しているくらいだから、相当の名将だったに違いない。

 武将の技量が試されるのは、なんといっても引き上げの際の引きぎわなのだ。敵に追撃の隙を与えずに引き上げるには、それ相応の知恵と勇気と卓抜な統率力が要求されるのである。
 
 戦国武将の史伝に明るい方々であればすでにご存知なことと思うが、武田信玄、伊達政宗、蒲生氏郷、徳川家康、その他の名将と称される武将たちのほとんどすべてが殿(しんがり)が本当にうまい。

 秀吉も以前の浅井・朝倉との金ヶ崎の撤退戦で武名を上げている。

 変幻自在・当意即妙の用兵がもてはやされるきらいがあるが、敗軍の際の引きぎわの後始末が上手な武将が、正真正銘の名将なのである。


 さて、家康は井伊万千代(後年の井伊直政。)を先鋒に立てながら岩崎城の救援に向かい、やがて羽柴方の池田勝入斎・森長可の軍勢と接触して対峙することになった。

 羽柴勢の総兵力はすでに約半数の一万を切り、一万数千の軍勢を率いる家康・織田信雄連合軍よりも劣勢に追い込まれての対陣であった。
しかも総大将不在の流軍でもあったから、その将兵らの士気は恐ろしいほどに低下していたに違いない。敵地に深く侵入して退路を断たれた形勢だったのだからなおさらであったろう。

 両軍はしばらく睨み合いを続けた後に、やがて戦端が開いて壮烈な死闘をくり広げ、野を朱に染めて壮絶に血戦する。
 家康は馬上でゆっくりと采配をふるって諸将に指示を出しはじめ、羽柴勢の急所を的確について先手、先手と押しまくり、鉄車のごとく黒みわたる徳川勢が壮烈な突入を敢行して猛烈な切り崩しにかかっていく。
 
 羽柴勢はそれに呼応するかのように突出して勇敢に斬り込みにかかるが、森長可が阿修羅のようになって奮戦するも横合いから苛烈極まる銃撃を浴び、馬上に即死してまっ逆さまに落馬する。

「うむ、鬼武蔵を討ち取ったぞ!今こそ好機、行けや者ども、かかれや者ども!」と、家康は大音声に叫びながら采配を大きくふるい、乾坤一擲の総がかりを命じる。

 家康の老練な用兵の前に森長可の軍勢はたちまち総くずれとなり、この救援に駈けつけた池田勝入斎も乱戦の最中に討ち死にし、その悲報に接して引き返してきた嫡男の之助も討ち取られてしまった。

 こうして、七時間以上にも及ぶ熾烈な大激戦の末に池田勝入斎・その嫡男の之助(池田信輝)、森長可は戦死し、中入り部隊は完全に壊滅してしまった。

 作戦は大失敗であった。

 この敗報に接した秀吉はじたんだ踏んで悔しがり、家康との決戦を期して楽田城から急きょ出撃、二万もの大軍を率いて大車輪の怒濤の勢いで長久手の地に向かいはじめた。

こんな時は、すぐに勝ち返しておかないと将兵らの士気に関わるし、長久手での敗北の噂が針小棒大な話しになって諸国に知れ渡ったりしたら、西国の毛利家や東の上杉家の動静だってどうなるか分からないのである。

 また、秀吉に味方する織田の旧臣たちの動静も未知数なものになってしまうところだ。こんな場合は早急に巻き返しておかないといけないのである。


 
 ところでその頃、徳川方の本営の小牧山城では、留守をあずかっている老臣たちが軍議して、秀吉不在の楽田城を攻略する算段を練っていた。
 
 重臣の酒井忠次は積極論だったようであるが、宿老の石川数正が、
「羽柴勢の総勢は、十五万とも十二万とも聞き及んでいる。わが殿さまが長久手において二万の羽柴勢に大損害を与え、その後、秀吉が仮に二万の軍勢を率いて楽田城から出陣したとしても、まだ八万から十万もの大軍が残っている勘定になる。ここは城の守りに専念したほうがよい。」との慎重論を説き、
評議はそれも確かに道理だということになって籠城を続けることになったのであるが、下座に静かに控えていた一人の武将がにわかに進み出て、憤然とした面持ちで立ち上がり、
「なんたることか!わが殿様は新手の秀吉の軍勢を相手にして、きっと難儀なされるはず、帰城も難しいに違いない。何もせずに黙って居られるものか!」と、憤慨していきり立った。

 
 鹿の角の前立て打った唐がしらの冑で有名な、本多平八郎忠勝であった。

 

テーマ:歴史小説 - ジャンル:小説・文学

【2010/03/26 15:44】 | 未分類 | コメント(0)
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