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考察5 謎だらけの猿面冠者
 

 太閤といえば、豊臣秀吉を連想する方々が大多数であろう。

 太閤とは皆様方ご存知の通り、朝廷の役職である関白職を務めた者が隠居する際に名乗った名称である。
したがって、太閤と呼ばれた人物は日本史上他にも大勢いるのだが、今日では「秀吉の代名詞」のようになっている。秀吉の人気の高さがうかがい知れるところであろう。

 確かに、秀吉の立身出世ぶりは物語としては大変に興味深いし、喜怒哀楽も十分に感じられて実におもしろいのだが、彼の出世ぶりは大出世というよりも本当に異例、実に異常性のある出世であったろう。

 日本史上で覇権を確立した英雄たちの中で、秀吉ほど異様な異彩を放ち、氏素性の全然分からない人物はいない。

 まず、生まれ育ちがはっきりしない。貧農の土民の出身とする説もあれば、木材を切り出す職能集団(木こり、大工)とする説もある。氏素性にいたっては公家の落胤説や、はたまた天皇家の皇胤説まで登場している。

 
 幼少期の名前も全然定かではない。

「日吉丸」とする説があるが、これは到底信じるわけにはいかないだろう。氏素性の知れない土民風情に「なんとか丸」などといった大名の子息みたいな幼名がつけられるはずかないのである。

 改正三河後風記には、秀吉の幼い頃は与助と名乗り、小川などでどじょうをすくい取り、それを売って歩いていたという記述があるが、しかしこの史料は徳川方の史書であるから、秀吉の全半生をデッチアゲて必要以上に悪く書いているともいえるし、真相をしつこく詮索して真実を鋭くついているともいえるので明確な答えとは言い難い。

また、「日吉丸」という名は、尾瀬甫庵の記した太閤記に見られるのだが、この史書は限りなく小説に近い書物であり、後年、秀吉の時代の生き残りの者たちから「虚妄多し。」と、つまはじきにされている書籍でもあるので鵜呑みにすることなど到底できるわけがない。

竹中重門の豊鑑には、
「秀吉は尾張中村のあやしき民の生まれで、父母の名前はよく知らない。」と、まことにぶっきらぼうな書きっぷりとなっている。
竹中重門は、秀吉の帷幄にあって幕僚を務めて辣腕をふるった竹中半兵衛の息子である。半兵衛の息子ですら、秀吉の出自に関して詳しく語っていない。


 秀吉の姉が建立したと云われる京都村雲寺に木下家系図なるものがあり、太閤素性記や明良洪範などはこれをよりどころにして相当以上に詳しく書いているが、残念ながら史実的に符合しない点があって辻つま合わせの観が否めない。
秀吉の実父の弥右衛門が織田家の鉄砲足軽であったというのだが、鉄砲が日本に伝来した年号と全然合わないし、これがもしも本当の事であれば織田家が日本でいち早く鉄砲を取り入れていたことになってしまう。種子島の鉄砲伝来の話しが架空の物語になってしまうだろう。

だいだい、時の権力者(秀吉)の姉が作成した家系図など、あてにできない。昔から必要以上に誇大な系図になると相場が決まっている。
以前の別の章で少し書いたが、徳川家の系図などはその最たるもので、家康の祖先をひもといていくと遊芸の輩の線がひじょうに濃厚なのであるが、しかしもっともらしい辻つまを合わせて、いつのまにか「新田源氏」ということになっているぐらいなのだ。全然あてにならないのである。


 さらに、秀吉の前半生も実に曖昧でよく分からない。

 秀吉が織田家の高級将校となり、その後、信長に功績を認められて朝廷から筑前守の任官を賜ったということが信長公記に出てくるが、この時の秀吉は三十二、三歳ぐらいで、それ以前の経歴は伝説的な逸話ばかりで正確にいえば全くの不明なのである。

 秀吉の前半生は伝承的に語り継がれた逸話だらけで、創作的な作り話しも多いので信用できない。
 
 近年のメディアなどでは絵本太閤記などという創作的にすぎる史料を平気で持ち出してきて、
「秀吉の実像に迫る!」などといって放映しているぐらいだから、もうここまでくると末期的な状態で、秀吉の前半生はますます混乱して全然分からなくなってしまっている。

メディアが相変わらず史料の裏付けとして持ち出してくる総見記、甫庵太閤記などの記述も、実は昔から史実としては評判の悪い史料であるし、川角太閤記などは秀吉の前歴を吹っ飛ばして、本能寺の変のあたりから書き出しているぐらいなのである。

 史料に記述があるのは確かな事実なのかもしれないが、しかしだからといって、
「史料に記述があるだろう、これが動かぬ証拠なのだ、だから真実だったのだ。」といわんばかりのメディアの姿勢には、ホトホト辟易とさせられてしまう。

 余談になるが、室町時代の足利義満のことを「日本国王になろうとした男」であるとか、「天皇家の乗っ取りを謀った将軍」などと喧伝する、大衆の関心を引いて売らんが為の諸書を散見するようになったが、確かにそのように受け取られても仕方がない素行や側面が足利義満にあったのかもしれないが、しかし当時の室町幕府はひじょうに脆弱な政権で、恐ろしくバカでかい守護大名たちが全国各地に乱立していたのである。
詳しく書いては果てしがないので書かないが、足利義満の取り巻いている状況は、野望心だけで解決できるようなそんな簡単で単純な状態ではなかったはずなのである。

 また、足利義満の戒名やおくり名を根拠にして日本国王になろうとしたという見解もあるが、しかし、もしかしたらお坊さんが、
「仏さんが欲しがっているかもしれませんな。うむ。もろとこ、もろとこ。」と言って、勝手に気をきかせてチャチャッと書いたのかもしれないだろう。
 

 話しがかなりそれてしまったが、このように秀吉の出自も前半生も謎だらけなのである。ましてや、当時の日本は門閥の国であり、門閥出身の者たちからすれば秀吉の存在は、「得体の知れない、どこぞの馬の骨」であったはずなのだ。

門閥の背景のない秀吉の精神的な苦悩、厳しい現実での苦労も察するに余りあるが、門閥の者たちからすれば秀吉の立身出世ぶりは絶対に許しがたい事実であったろう。


 ところで、ここで下世話な余談を書くが、秀吉はとっくに五十歳を過ぎた頃に子宝に恵まれている。

 しかし当時の五十才代といえば、これはヨボヨボの老年期にあたる。当時は天災や変乱などで精神的・肉体的に消耗の激しい時代であり、今の現代と違って病気やケガによる破傷風などでいつ死んでもおかしくもなんともない年齢なのだ。困難な環境下での体力の激しい消耗が、人間の免疫機能を著しく低下させたからでもあったろう。

 また、体力的な問題はさておき、諸説によれば、秀吉が若い頃に下女に手をつけて生ませた子供がいたとか、信長が上洛した時に京女と深い仲になって子宝に恵まれたという話しもあるが、これは講談臭さプンプンで到底信じられないし、将来的に淀殿との間に鶴松・秀頼が生まれるので、以前から秀吉の身体には全然異常がなかったかのような話しの辻つまを合わせる伏線臭さの感もある。

 そもそも、秀吉の正妻のおね、数多くの妻たち(当時は妻を何人も持てたのである。もちろん、嫡妻はいる。ちなみに淀殿は側室でも妾でもない。れっきとした妻である。当時は妻と側室の厳格な区別はなくて実に曖昧であった。)、側室や妾たちも、誰一人として子宝に恵まれていない。

 
 これは筆者の下世話な推測になってしまうが、身体に何か原因かあって子宝に恵まれない何らかの要因(精子が異常に少なかったとか、織田信長に奴隷のようにこき使われて精神的なトラウマによるインポテンツであったとか)が秀吉の身体にあったのではないだろうか?

 だいたい、そろそろ早急に世継ぎを必要とする、あの絶妙のタイミングで淀殿だけが懐妊して子宝に恵まれることなど、当時の人々でさえも事実として受け入れ難いことであったろう。
 伊達政宗が「石田三成との子ではないのか?」と言って、それを耳にした徳川家康が軽率な言動は慎むようにと叱りつけたという有名な逸話があるが、確かにこのような疑問を口に出すことは秀吉の独裁政権下においてはタブーであったに違いない。

 しかし、近年の小説やドラマで頻繁に見受けられる、子宝に恵まれない原因がおねの身体にあったかのような見解には、私にはどうしても納得できない。

テーマ:歴史小説 - ジャンル:小説・文学

【2010/04/17 15:13】 | 未分類 | コメント(0)
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不如帰~戦国武将の幻影~


Ⅰ・・<覇王編>・・~逆賊 織田信長を討て!~Ⅱ・・<争覇編>・・~織田家簒奪!秀吉の野望~

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