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秀吉、天下人への道 (1 乱世の群雄)

さて、徳川家康の臣従により、秀吉は東方の後顧の憂いを解消し、さっそく懸案の九州平定に乗り出した。

 家康の領国は今や、三河、駿河、遠江、甲斐、信濃にまで及んでおよそ五か国、その領地は武田信玄の最盛期に倍する以上の勢力であり、徳川家が東国のかなめとなってくれたおかげで、秀吉は安心してその兵力を西国に集中して動員することができたのである。

 一刻も早い天下統一を念願する秀吉にとって、徳川家康の臣従は実にありがたいことであった。

 秀吉のまわりにいる乱世の群雄の中で、最も恐るべき竜虎のような徳川家が秀吉の味方になったことで最速のスピード劇とでもいうべき早さで天下の統一が進んでいくのである。

 しかも、徳川家は秀吉と戦って負けて臣従したわけではない。


 まさしく、家康が秀吉に天下を取らせたといっても過言ではあるまい。


 さて、九州の豊前口からは小早川隆景の率いる毛利勢が主力となって上陸し、豊後口から仙石秀久が総大将となって長宗我部元親、十河存保といった歴戦の勇将らに率いられた四国勢を中心とする部隊が怒涛の快進撃を敢行する。


 だが、豊後口の四国勢は島津方の強襲のような熾烈な奇襲と猛反撃に遭い、あっさりと壊滅して瓦解崩壊してしまった。

豊後の戸次川(べっき川)において島津勢の猛烈な強襲を受けて、長宗我部元親の嫡男で猛将で有名な信親が大乱戦の最中に戦死し、大将格の十河存保も討ち取られて無念の敗死、四国勢は目もあてられないほどの大敗北の憂き目に遭い、早急に撤退するものの、島津の苛烈極まる猛追撃を受けて大損害を被り、その将兵らは恐怖に顔面蒼白のチリジリの状態となって敗走した。

総大将の仙石秀久などは逃げるに逃げたり、さっさと戦闘の総指揮を放棄して戦場からまっさきに逃亡し、遁走して海岸に出て大急ぎで船に乗り込み、全軍を見捨てて早々に四国めざして落ち急いだあげくに、こそこそと淡路島で雲隠れしてしまっている。


そもそもこの戦闘は、歴戦の猛者である長宗我部元親、十河存保が島津方の伏兵ありとみて総大将の仙石秀久に対して、不案内な地勢であり、急進撃を中止して物見を放っての敵情偵察の必要性を進言し、危険性を訴えて強く諌めたのであるが、強がりの仙石のじいさんが空威張りで強行したばっかりにこういった顛末になったのだ。

強がるわりには、いざとなると驚くほどにだらしがない人は古今東西いるものであるが、しかしこれほどまでに憶病で破廉恥な行状を見せた総大将も珍しい。珍重すべきである。


 この時、長宗我部元親は敗軍をまとめて戦場を離脱したのであるが、その時の事として逸話がある。

 元親は敗軍を率いて海岸に向かって離脱を図ったのであるが、浜辺の船が干潮で出しようがなく、撤退できずに難渋して困っていたところ、
島津家久の使いの者がやってきて、

「このたびのいくさでのご子息の討死、弓矢のうえでのこと、ぜひにおよばぬ次第でござる。しかるところ、干潮での船出の難渋とお見受けいたす。潮を待ってゆるゆるとお引き上げくだされ。」といったという。

 まさしく、島津家久とは薩摩隼人の典型、男性的な爽快さを見せる武将であり、その勇武才略の逸話も本当に数多い。

 島津といえば、やはり維新入道義弘公の武勇は実に有名であるが、島津家久公も勝るとも劣らない知勇兼備の猛将であった。

 こんな逸話もある。

 天正12年の三月頃、肥前の島原の有馬義純が竜造寺家の猛攻撃を受け、島津に援軍を要請してきた時のこと。

 島津家の当主である島津義久が、援軍の大将として、兵庫(義弘)と家久、どちらを遣わしたらよいか迷っていた。

 側にいた重臣の新納武蔵守忠元が、

 「兵庫殿は陣中にあって敵の噂を聞いて慎重に工夫しますが、しかし戦場にあっては勇猛果敢なお方です。家久殿は陣中にあって敵の噂や恫喝などには歯牙にもかけませんが、しかし戦場においては慎重に工夫するお方です。今回は家久殿が適任でありましょう。」といっている。

実際、島津家久は寡兵の三千の援兵を率いて奇襲、強襲、猛烈な獅子奮迅の働きで竜造寺を撃破し、当主の竜造寺隆信はこの戦いで討ち取られている。

二人の武将としての特徴の違いがよく分かる話しである。


 ちなみに、後年の関ヶ原の戦いの際、島津義弘は慎重にすぎて引き際のタイミングを失い、敵中突破して戦場から離脱するのであるが、その時に従軍していた島津豊久(家久の子)は、

「叔父上(義弘)が討死なされたら、島津はたちもさん。身代わりしてしかるべし。」と決意し、鉄砲隊を駆使して猛然と追撃してくる東軍将兵らを翻弄し、その最期は壮烈に戦い抜いて義弘の身代わりになって討死している。徳川の重臣である井伊直政は、この時に受けた銃撃の傷がもとで後年に死んでいる。


 ところで、島津家久には毒殺説があり、後年、羽柴秀長が家久の知勇才略を警戒して宴の席での食べ物に毒を盛ったという話があるが、この話しは到底信じられない。羽柴秀長は雄略の人である。そんなことをするはずがないのである。

 毒殺説といえば加藤清正、堀秀政、蒲生氏郷、羽柴秀長もそうであり、本当に惜しまれて亡くなった人物にはついてまわる話しなのである。
 


 
【2015/06/06 20:24】 | 未分類 | コメント(0)
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