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コラム 資質に得失あり、石田三成の悲劇

 こんな逸話がある。

古代中国の漢の創業者である劉邦が項羽を滅ぼして後、行政官僚の商荷の業績を褒めたたえて勲功第一にすると、諸将は不平不満を唱えた。
劉邦は笑みを浮かべながら、
「諸君が兵糧・糧食を少しも心配せずに項羽軍と戦い続けることができたのは、これは商荷が漢中・洛陽などからどしどし糧食を運び続けたからに他ならないではないか。

例えるなら、そなた達は猟犬だ。商荷はその猟犬たちが飢えに苦しまないように、いかなる時も、いかなる場所にも、絶えず十分な餌を与え続けてきたのだ。」と言ったという。

 史記によれば、確かに、項羽は竜虎のような猛将で、項羽の率いる楚軍は秦を滅ぼすほどの精強無比の軍勢であったが、商荷のような優秀な事務方(行政官僚)がいなかったばかりに、その後の劉邦軍との熾烈な戦闘で大勝利を重ねながらも、常に兵糧の欠乏を招いて撤退を余儀なくされて、それが西楚の覇王と恐れられた項羽を滅亡に導いた最大の要因であったと云われている。

 商荷は、劉邦の宿将であり、実に優秀な行政官僚であり、人徳の声望のある雄略の人であった。おそらく諸将は劉邦の言葉に納得して、黙って引き下がったことであろう。

しかし石田三成には、この声望が全くといっていいほどに無い。雄略の人でもなく、人格・人柄よりも技術・技能を重視する全くの合理主義の信奉者であった観が否めない。

三成は当代の実に優秀な行政官僚であったことは間違いないと思うが、彼の生涯を通観すると「虎の威を借る」の典型であり、 しかも、エコヒイキばかりが目立つのである。


 また、人情の機敏に恐ろしく鈍感・愚鈍といっていいほどだ。

 そして、必要性の感じられる物事には実に敏感であるが、必要性の無いことには全く無関心で、特に社会的な地位の低い者に対しては陰険で刻薄、冷徹で薄情なところがあったようである。

 石田三成の有名な逸話で、ある茶会での席上、ライ病をわずらっている大谷吉継が触れた茶器をさわるのを嫌がる者たちの大勢いる中で、三成だけが全然気にしなかったことに大谷吉継は感謝感激し、それが縁となって三成と深い親交を結ぶようになり、終生の友と誓うようになったという話しや、
三成が島左近に所領の半分を渡すから家臣になって欲しいと願い出て、その三成の心意気に感動・感激したので左近は三成と主従関係を結んだという有名な逸話があるが、
しかしこれらは、単に、三成が大谷吉継の知勇才略の必要性を感じていたので、そうしたのであり、単に、三成が島左近の勇武知略の必要性を感じていたので、そのように言ったにすぎないのではないかと思われる。
そこには、人間性も、人情味も、愛惜の念も、全然感じられない。
相手を思いやる、「温かい思いやりの心」がカラ回りしていて、三成のその場でのその場限りの「いやらしい、わざとらしい演技」としか思えないのである。
なぜなら、その後、三成は大谷吉継の諫言を聞き入れず、島左近の助言に従わず、軽いアドバイス程度にしか感じていない。

さらに言えば、必要なものがそろってしまえば、あとはそれですべて良しとしてかたずけてしまう官僚的な迷妄に、石田三成は陥っていたことは明らかなのだ。

 人を単なる物・道具としか見ることのできない偏狭な人物であったように思われる。

これは、すべてを事務的にさばいて片づけてしまおうとする官僚的な妄信に陥っていた石田三成の資質の限界であったろう。

 
  大谷吉継が三成を評して、「そなたには人望がない。すべては裏方に徹し、表に出ないようにしたほうがよい。」との忠告も、三成は全然聞き入れていない。

  また、三成には武将としての経験など、ろくにない上に、数字合わせの軍勢の多寡で戦いの勝敗が決まると妄信している。
 
関ヶ原役の前哨戦で、大垣城での西軍の軍議の際に、島津義弘・豊久が、
「今夜こそ、夜討ちしてしかるべし!」と提案するも、

「夜討ちは小勢の場合に仕掛けるもの、わが軍は大軍勢である。すべては大開戦で。」と、三成はこの貴重な進言を軽くあしらって席を立っている。名将で誉れ高い島津維新入道の発案に対してこの態度なのだ。全然話しにならないのである。


 
 石田三成は江戸時代での評判はすこぶる悪い。

 豊臣家の簒奪を図ったとまで書いている諸書もある。

 これは、石田三成が徳川家と敵対した関ヶ原役の首謀者だったからであり、その時代の将軍家への配慮でもあり、幕府からの恫喝、厳しい追及を恐れた御用学者らの曲学阿世(学問上の真理をまげて、世間や権力者の気に入るような言動をすること)のせいで悪者に仕立て上げられたからである。

 明治になると三成の評判は少し持ち直し、昭和の半ばの頃は豊臣家の忠臣として諸書やテレビなどでもてはやされたが、平成になるとその評判・評価はやや下降気味といったところであろう。

 
 
 私は、石田三成の豊臣家に対する忠誠心を疑う者ではない。

 石田三成の恩義に報いる貴い心があったればこそ、徳川家康との対立を生み、関ヶ原役を発生させ、その全財産を使い果たしてまで身命を投げ打った豊臣家の大忠臣であったと私は信じる。

だが、しかし、本当に心から豊臣家の行く末を思うのであれば、膝を曲げて座り、両手を畳について、深々と頭を下げて、豊臣恩顧の武将たちに涙ながらに誠心誠意、心から切々と説いたならば、あのような悲惨な豊臣家の末路はなかったように思う。


 石田三成の資質の限界であったと言ってしまえば、それまでであるが、しかし私は、それがとても残念でならない。



【2015/07/09 23:20】 | 未分類 | コメント(0)
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